会社を辞めたら帰る家が無くなったときの話。

この時期になったら思い出すことがあります。あれは2017年の冬……

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新卒で入った会社を3年で辞めた

私が新卒で入った会社は、ちょっと味のある会社でした。
入社3週目、新卒の歓迎会として執り行った野球大会の後、参加者全員が1,000円を用意して、1回の表からプレーを振り返り、活躍した人を褒めて、お礼を言いながらその1,000円を渡す不気味な光景を覚えています。

社内のパーティでは社長が指名した入社2-3年目の女性社員が舞台で踊ったり、
大量に売れ残った5万円超の高額新商品を「社長のご厚意で3割引きになったので、欲しい人はぜひ買ってください」という通達が秘書室から届いたり、
それを買わない人はリストアップされて呼び出されたり、
社員のストレスチェックの点数を役員全員が知っていたり、
社員が同期だけで飲むのが禁止されていたり、
退職者の送別会が禁止されていたり、
残業の申請方法を誰も知らないなどと、なかなか面白い風土の会社でした。

しかし働き方としてはカレンダー通りの休日ですし、部署によっては残業もほぼないし、一概にブラック企業とは言えません。
そんな中、ある日突然上司が二人まとめていなくなった私は、30連勤の最終日に、会社でモンスターを呷りながら深夜3時くらいに転職エージェントに面談の申込をしました。
当時は所謂売り手市場だったので、2週間くらいで転職活動を終えることができました。

退職交渉開始 -裏切者は誰だ-

味のある会社なので、退職交渉も頭を使わなければなりません。
私は社宅に住んでいました。北向きの5畳1K、首都高がすぐ近くを走っており空気は悪いし夜はパトカーのサイレンで騒がしい。
私はその部屋のことを独房と呼んでいましたが、東京の賃貸の現実って感じの趣のある部屋でした。(こんな条件で家賃8万超!)
そんな背景から、普通に「次が決まったんで会社辞やめます!」と言うと、社宅を翌営業日に追い出されることはわかっていました。
それは火を見るより明らかでした。あの会社には法律や人権よりも大切なものがありました。

当時の状況

1月1日からの入社が決まっていました。
つまり12月31日付の退職を通さなければならないです。
転職先近くの賃貸への引越しは12月25日の予定。
当時は10月末ごろ、つまり少なくともあと2か月はこの賃貸にしがみつかなければならないということ。

一番安全だと思われる「地元に帰ります作戦」を使おうと考えました。
私の地元は南の島にあり、東京からだと飛行機を使わなければたどりつけない場所にあります。
まずは12月31日で退職したいということを何とか通し、そのあとに「飛行機は12月25日にチケットを取ったのでその日に賃貸を出ます」、と伝える作戦を考えました。

いざ決行のとき

「退職します!」を伝えた後は、割と拍子抜けするほど簡単にことが進みました。
まずは直属の上長に退職する旨を伝え、その上の役員に伝え、最後は社長に伝えるという流れでした。
150人くらいの会社だったので、社長に直々に退職をする旨を伝える形でした。
残念だなという言葉と多少の残留交渉はあったものの、地元に帰りたい、という話を通して12月31日付の退職を決定することができました。

裏切者は誰だ

粛々と引き継ぎ等を進めていきながら、気を許せる同僚には次が決まっていることは話していました。
しかしある日突然、すぐに社宅を退去せよという命令がくだされました。
当時のメールが残っていたので、事件の正式な日付がわかります。
2017年12月14日(木)に突然、「週明けの18日(月)で退去せよ」と言われています。

最終的に、自分がどこにいつまで住んでいるかわからない状況になり、入社書類は郵送ではなく直接受け取りに行くことに。


そう、どこかから「あいつは転職先が決まっている」と情報が漏れたのです。
なんでも、「在職中に転職活動をするとは何たる傲慢、許されない背信行為である! 今すぐあいつを消せ!(原文ママ)」と社長が烈火のごとく怒っているとのこと。
※ちなみにベッドや冷蔵庫は引っ越し予定の25日まで部屋に置いたままで良いから、とにかく出ていけという話でした。

あと約1週間乗り切ればなんとかなったというのに、なんと突然社宅を追い出されました。
引越屋に事情を話してタイミングを早められないかと相談したら、それは難しいという話。
転居先の管理会社に部屋だけでも開けてもらえないかと相談しても、火災保険の関係で難しいらしい……
実家には飛行機に乗らないと帰れない。師走の時期で普通に航空券を取ったら往復10万はかかる状況。
当時、手取り16万で3年間やってきた私にそんな金はありません。退職金はもちろん0円。最後の賞与は「調整額」という謎の項目ですべて会社に召し上げられてしまっています。(これ法律的に良いのですか?)

こうして私は1週間だけ、帰る家を失いました。

帰る家が無いということ

私は当時、登山を趣味として始めていて、野宿セットは整っていました。
テントもあるし、寝るときに敷くマットもあるし、寝袋もありました。
隅田川が近かったので、そこで寝てみた日もありました。
Tips:こういう場合、テントを張るのは”違法建築物”と見做され違反となりますので、ごろ寝推奨です。

帰る家が無いとなにが困るかと言うと、とにかく日中が困ります。
夜は意外となんとかなるんです。カプセルホテルに駆け込んだり、人通りが少ないところを探して寝転がれば良いので。
しかし当時野宿ビギナーだった私は、明るいところで座って時間が過ぎるのを待つ忍耐力がありませんでした。
ネットカフェもお金がかかるし、意味も無く山の手線に乗ってぐるぐるしてみたり、人形町と浅草を歩いて往復してみたりしていました。
昼をやり過ごして、ようやく夜になると川沿いで寝てみたり、友達の家で一晩世話になったり、浅草のbook&bed tokyoというカプセルホテルに泊まったりしていました。(もう潰れたみたい……)

予約メールが残っていました。お世話になりました。

家があるというのはとても幸せなことです。
私はそんな、家族がピンチに陥ったときに帰ってこれる実家を建てたいです。

今だから思うこと

普通にウソをつかれたから社長は拗ねてしまったのだろうか? という気もしています。
もしかすると、素直に話していたら応援してくれていたかもしれません。
良い退職って難しいですよね。円満に進むようどれだけ策を練ってもうまくいきません。
私のように、策を練れば練るほどこじれる可能性もあります。

当時は聞いたこともなかったのですが、今だと退職代行という手段もあるそうです。
私としては退職代行は最善手とは思っていません。退職はどれだけ怖くても自分の言葉で伝えてほしいなと思うのですが、そういうわけにはいかない人も、いかない会社もあるのでしょう。

もし私が退職代行を使って退職をしていたら、急に社宅を追い出されるということからも守ってくれたのでしょうか? さすがにそんなことまではしてくれないかな?

このブログは家を建てる話を書いているブログですが、年末にかけていろいろと思い出したので、家を失った話も書いてみました。
一度は家を失った私ですが、今では家を建てる計画を進めています。
我が家が目指すのはオシャレな家でも高性能な家でもなく、家族のピンチに帰ってこれる実家です。
こんな経験をしているから、もしかすると住む場所というものに人一倍の思い入れがあるかもしれません。
いま進めている計画も、いよいよ最終図面のすり合わせを行う段に来ました。11月末に着工予定です。

良い家が建つと良いなあ。

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