生物の最小単位は細胞と定義されています。
細胞とは、膜で覆われ、周囲の環境と区別され、増殖できる物体のことを指します。
私はなにかを選ぶとき、自分の欲求・要求の最小単位について考えることが多いです。
私の住居の最小単位は?
外で寝たことはありますか?
キャンプをしたことがある人はもちろん、外で寝たことがあると答えるでしょう。
住居の最小単位を考えるとき、”どこまでが内で、どこからが外になるのか”を検討してみました。
”内”は満たされた場所であり、最小単位とは言わないとします。”外”のなかで寝泊まりできる条件を最小単位とします。
私の場合は、壁がない場所が外でした。私にとって、テントの中は”内”です。
そういう意味で、私が寝たことのある”外”はいくつかあります。
ひとつ目は、甲府駅前の広いバス停。
ふたつ目は、整備されたキャンプ場。
みっつ目は、山間の沢沿い。
つまりは、壁が無くても人は(少なくとも私は)眠れるということです。
住居の最小単位を考えるとき、これは大きなヒントになりそうです。
この3つの”外”に共通点が2つありました。
ひとつ目は、寝るところがフラットであること。キャンプでも登山でもなんでも私はどこで寝るにも、できる限りフラットな地面を探します。
ふたつ目は、屋根があることです。
特に気づきだったのが甲府駅です。甲府駅前で寝たことがある人はご存知かと思いますが、あそこはかなり広くて、寝るところがたくさんあります。にも関わらず、私はバス停の屋根の下を選んで寝ていました。
きっと、私にとっての住居の最小単位は、”地面と水平に寝ることができて、屋根がある場所”になりそうです。
最小単位を超える贅沢
ここからは贅沢の話です。
沢で寝泊まりするなら、好きなところで火を焚いて、イワナを釣って焼いて食べ、タープを張って夜を明かせば良いのですが、地上ではどうもそういうわけにはいきません。
自分の土地とはいえ火を好きなところで焚くわけにはいかないので、料理をするなら熱量が安全に管理されるガスコンロ、もしくはIHパネルを始めとした火器が必要になってきます。
徒歩30秒の沢に行ってテンカラ竿でイワナを釣るということもできませんし(そんなに釣れないけど)、足元のコゴミを採ったりミズの根を喰むこともできません。スーパーで買ってきた食料を何かしらの方法で保存しなければなりません。冷蔵庫が必要です。
電化製品が壊れないように、火の粉が飛ばないように、雨仕舞いをされた立派な屋根と天井、そして風除けになる壁を立てなければなりません。
皿や鍋などを仕舞う収納を作って、どうせならその収納を火器と一体化させ、沢の水を汲めない代わりに水道を引いて、全部まとめてキッチンと呼ばれるものを作ってみるのもありかもしれません。
そうやって、住居の最小単位に少しずつ贅沢を加えていくと、立派な家の出来上がりです。
欲求・要求の最小単位を、たくさんの些細な贅沢で探っていく
沢で寝泊まりしないのはなぜでしょうか。住居の最小単位で暮らしていくことができれば、お金はかからないでしょう。
しかし、沢は冬は地獄だし、雨季には立ち入ったらそれが私の最期となるでしょう。あと、家族がきっと嫌がるでしょう。(私と妻と息子では、住居の最小単位がたぶん違うため)
最小単位の住居では、持続的で文化的な暮らしは叶いません。
持続的に豊かに暮らしていくために、最小単位の住居に様々なアタッチメントを加えていきます。
私が”最小単位超過の住居”に求めるのは、冬でも雨季でも、最近ではとんでもない暑さの夏でも、災害があっても、家族が末長く安心して暮らせる場所であることだと思います。
恐らく、それが家というものに対する私の現時点の”欲求・要求の最小単位”です。
確かに、安心して暮らすために必要なものはなんなのかということを考えて、家づくりをしていたように思えます。
耐震性、断熱性能、経済性、色々なことを考えて、私が叶えられる最大限のバランスで、住居の最小単位をはるかに超えた豊かな家が建ったかなとも思っています。
そして、家がピカピカのまま私だけが歳をとっていくのもなんだかおさまりが悪いので、家にも良く歳をとってもらうために、経年変化をしていく素材をできるだけ選び、壊れたら丸ごと取り替えるのでなく修理できる造作家具やキッチンを選びました。
これこそが、欲求・要求の最小単位とは関係なく実装した、我が家最大の贅沢だと言えるでしょう。
この記事を書いている時点で引き渡し、引っ越しまであと2週間ほど。
屋根と平らな地面だけではない、たくさんの方が心血を注いで作ってくれた、些細な贅を尽くした”我が家”で暮らすのが、私はとっても楽しみです。
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