無病息災

夏に生まれた第一子を抱いて、沖縄の実家へ帰りました。

沖縄には正月が明けた頃にムーチーという料理を作る風習があります。その日をムーチービーサと言います。

ムーチーとは、沖縄のお餅です。

このムーチーの中に石を仕込み、鬼になってしまった兄に食わせ、その隙に妹が兄を崖から突き落として斃すという昔噺があります。

ムーチーは、漢字で書くと鬼餅。

鬼を斃した鬼餅を歳の数だけ食べれば、無病息災で過ごせるというわけです。

ちょうどタイミングが重なったということで、ムーチー作りを手伝いました。

ムーチーのタネをサンニン(月桃)の葉に包む。
ひたすら蒸す。
蒸したら冷まして、ひもで結ぶ。
数え年の数だけ、ひもに吊るす。

ムーチーは、毎年おばあちゃんが作ってくれていました。

おばあちゃんの家には、大きな月桃が植ってあり、毎年その月桃の葉を刈ってムーチーを包んでいました。

おばあちゃんは絵が好きで、神奈川に住んでいる私たちに、ポーラ美術館で所蔵されているモネの睡蓮を見てきてほしいとずっと前から言っていました。

この機会だからと、帰省前に息子を連れてポーラ美術館まで行き、モネの睡蓮を見てきました。

お土産に買ったのは、モネの睡蓮が描かれているメガネ拭き。
あと、たまたま近所で見つけた麻布かりんとう。

実家で作ったムーチーと共にお土産を届けに行くと、ひ孫との対面です。

激動の時代を生き、戦後はミシンで身を立てた祖母の手と、これから人類の進化の時代を生きるであろう息子の手。

「あのナチブーが、本当に親になったんだねー」と言って喜んでくれました。

ナチブーとは、泣き虫のことです。
私は泣き虫で、ずっと祖母に背負われて過ごしていたらしいです。まともな抱っこ紐などもなかなか無い時代で、ひもと祖父の帯を使って、背負っていたそうです。
それに私は言葉が出るのが遅かったようで、おばあちゃんはもちろんのこと、地域コミュニティのおばあちゃんズがみんな心配していたそうです。今のあんたを見たら喜ぶはずよ〜と言っていました。

大学進学を機に地元を出た私に、祖母は毎月のように仕送りをしてくれました。
炊いたテビチや、庭で採れたゴーヤー、へちま、大量のシーチキンやスパムの缶詰。黒砂糖、クンペン、タンナファクルー、沖縄そばの乾麺など。

最初は、いつ沖縄に帰ってくるのか、就職は沖縄でするのか、沖縄で公務員になりなさいと、しきりに言っていましたが、ついに私が結婚するとなったときに、「そうか、もう心配ない」と言って、それきり地元に帰りなさいと言われることはなくなりました。

いま家を建てていると話すと、心底おかしそうに笑っていました。
「ナチブーが親になって、ローンで家を買うとは、上等さ」「ヤマトンチューになるんだねえ、良いさあ、頑張りなさい」と言って笑っていました。

最後に「これ(私のこと)は大事に育てられてるから、ぜったい大丈夫さ」と私の妻に伝えて見送ってくれました。

いずれ沖縄で暮らしていた時間よりも長い時間を関東で過ごすことになり、沖縄のことで知っていることは少なくなっていくことでしょう。

自分の決断とはいえ寂しさを感じつつ、私は私で、親も、祖母も知らない土地で”実家”となる家を建てて暮らしていきます。

そしていつか自信を持って、息子は大事に育てたから大丈夫と言えるようになれたら、とてもすてきだなと思います。

毎日一生懸命がんばります。

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