ふつうの上等

沖縄に住んでいる/住んでいた人になじみのある言葉で、「ふつうの上等」というものがあります。
私は沖縄を離れて久しいのですが、まだこの言葉はあるのでしょうか?
ヘリオス酒造という泡盛の醸造所のローカルCMで使われている言葉です。
ヘリオス酒造の「轟」は決して高い泡盛ではなく、コンビニにも並んでいる裾野商品です。
つまりヘリオス酒造は、自社の商品を「とても美味しい特別なもの」ではなく「日常にありふれた普通のもの」と位置付けて拡販を行っています。

話は変わりますが、私はアウトドアが好きです。特に登山、最近始めた沢登り・渓流釣りが好きです。
好きな理由は挙げれば挙げるほど出てくると思うのですが、きっとドーパミンが出る閾値を下げることができるから好きなんだと思います。

沢登りでは、「自分の実力では無理だ」という滝まで遡上したあと、およそ普通に生きていたら歩くことはない斜度の泥壁を、四つん這いで這い上がっていく時間があります。苦痛のひと時です。
さっきまでヒンヤリとした滝飛沫を浴びて気持ち良かったのに、体を少しでも上げるとひっくり返りそうになるような崖を、泥を噛みしめてよじ登ります。
必死に這い上がっていくと、同じく沢を上がってきたであろう人間が作った杣道や、シカやイノシシが通る獣道に出くわします。そうすると、とても幸せを感じます。しっかり踏み固められてる道だなあ、って嬉しくなります。

冬山に登り、-20℃の環境でテントを張って気を休めると、あっという間に体温を奪われていきます。
どれだけ厚着をしても、道中でかいた僅かな汗からギュッと冷え、すぐにガタガタと震えが来ます。
そういうときにあわてて着替えるわけですが、分厚い手袋を外し、キンキンに冷えたザックを開けて、「これだけは濡らすまい」とジップロックに大事に詰めていた乾いた服に手が触れた瞬間、とても幸せを感じます。乾いている布は、乾いているというだけでとても暖かいんです。

そんな環境から帰ってくると、クルマが時速60kmで走ることにとても感動するし、寄り道したコンビニで買うおにぎりの塩味で幸せになれるし、家について風呂に入りフカフカの布団に寝転がった時には、この世のすべてに圧倒的感謝! という気分になります。

沖縄の人は、なんにでも上等、上等、と言います。
1個10円もしない麦茶パックにも上等と言うし、近くにコンビニができたら上等と言うし、朽ちかけた自転車もタイヤが回れば上等と言うし、20回くらいキックスタートしてようやく動いたスーパーカブにも汗だくで「とー、上等さ」と言って褒めてつかわします。

見方によっては貧しい思想なのかもしれませんが、私はこの「ふつうの上等」という言葉が大好きです。大人になって、沖縄を離れて、それをすごく感じるようになりました。

久々に帰った地元の海は上等
鉢植えで頑張るキンモクセイも上等
真鶴岬の日の出も上等
ほぼロープウェイで登った山の上から見る朝日も上等
江ノ島に朝ご飯を食べに行ったらたまたまやっていた流鏑馬も上等
セミの羽化も上等
オシャレじゃないキャンプも上等
適当な世話なのにちゃんと出てくるフィカスの新芽も上等
しょうもない低山の道も上等
バカ尾根の後の手作りおにぎりも上等
日々大きくなる息子は一番上等

いざ、今週末は最終図面の確認。

超高性能住宅を建てることはできませんでしたが、それでもふつうの上等がたくさん詰まった良い家は建てられそうです。

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