2017年頃、私がホームレスになるきっかけとなった会社で迎えた新年。
2017年にしてまだフロッピーディスクが現役の恐ろしい業界では、取引先の会社の社長から年頭挨拶のメールが届くことがありました。
そのうちのひとつのメールが非常に印象に残っていて、内容を今でも覚えています。
「高度経済成長期につくられた、大量生産・大量消費の時代が終わりつつあります。みんなと同じものを買い、同じものを使うことがステイタスとされていた流れは過去のものになり、個人がそれぞれの価値観で商品を選ぶ時代が始まっています。量販というビジネスモデルに頼っていた我々も、新しい道を探さなくてはなりません」
こんな感じの内容でした。
つまり、ジャスコの時代が終わるということです。
大量の商品を大量に売り捌くモデルが、もはや終わり始めているという話でした。
商品のバリエーションを出さないといけないということです。
大量生産でコストを下がる仕組み(製造編)
流通業の上流にあたるメーカーは、いわゆる”装置産業”と呼ばれることもあります。
装置産業とは、大型のマシンを動かして、商品を大量に生産することで利益を生み出す産業です。
わかりやすくいうと、100円均一に並ぶ商品は、あれはひとつの商品を極大量に生産し、コストを下げています。
なぜ、ひとつの商品を大量に作るとコストが下がるか考えたことはありますか?
商品は素材という状態から、金型を通ってパーツを取り付けられ、組み立てられ、梱包されて出荷されます。
この工程が止まらなければ止まらないほど、生産効率は上がっていきます。
そこで、同じラインで全く別のBという商品を作るとどうなるでしょうか。
Bという商品を作るために、製造ライン上の金型、用意されるパーツ、組み立ての工程、梱包資材のすべてを取り換える作業が発生します。
これを段取り換えという工場が多いです。この段取り換えを行う時間=生産が止まる時間になるわけです。
Aという商品を10時間製造し続ければ100個できた場合、同じ10時間でもBという商品を作るとなるとAとBは単純に50個ずつになるわけではなく、例えばA30個、B30個(=合計60個)になってしまうなど、大きく効率が落ちてしまいます。
生産効率を高めるためには、ほかにもいろいろな要素があります。
例えば鉄製品など、熱して素材を溶かして金型に流し込むような製品の場合、窯の出口が大きいと出てくる素材の量も多く、窯の温度が下がりやすいです。逆に窯の出口が狭くなっていると、出てくる素材の量は少なく、窯の温度が下がりにくいです。
こうして窯の温度を調整しながら、適したタイミングで大型商品から小型商品に切り替えたりすることも、生産計画の一つとなるでしょう。
最高効率で生産計画を立てて実行できる=製造コストを最も下げられる、というわけです。
そのため、仕入れ側が計画的に商品を買ってくれると、メーカー側はとっても助かるわけです。「これ足りなくなったから今すぐ作って!」とか、「これ今いらないから作らないで!」とか、めちゃくちゃ困るわけです。
大量生産でコストが下がる仕組み(輸送編)
作った商品は運ばなければなりません。
トラックは基本的に1台いくら、という料金体系がほとんどのため、容量99%で運ぶ場合も、60%のスカスカの状態で運ぶ場合も料金は同じです。
メーカー側の視点では、一度に大量に運んでくれたほうが倉庫内のストックを減らせるので助かりますし、問屋側も一回の運搬でより多くの商品を小売店に納品できたほうが利益が取れて助かります。
つまりここでも、同じ箱の形状(=同じ商品)のほうが一度に大量に運べるためコストを下げられるわけです。
そのため、ジャスコのようなGMS業態の販売店は、メーカーにとっても問屋にとっても大切なお客さんだったわけです。
大量生産・大量消費の時代は終わるのか?
ジャスコの時代が終わるかもという話を冒頭でしましたが、なんだか最近そうでもないような気がしています。
instagram、tiktok、temu、最近では7sgoodというアプリも頭角を現してきていますが、企業側がインフルエンサーを起用して、まさに大量に売りさばく手法が確立されてきています。
私はすでに流通業から離れた身なので、現場がどうとらえているかはわかりません。
外から見て考えると、どうやらこれまでの商習慣を破壊するようなことが起きてるんじゃないかという印象を受けます。
私としては、凝り固まった商習慣が崩れるのはある種良いことかなとも思うのですが、想像していたような壊れ方ではありませんでした。
この商流に乗り換えると、メーカーにとっては結構メリットがありそうです。
メーカーは、売り切る分を作ればいいので、そもそも在庫リスクを抱える必要がありません。
問屋、販売店を通す場合は、販売店の利益も考えた供給責任というものがありました。販売店の棚を使うからには、そこに常に商品を供給せねばならないという責任です。
そのため、メーカーは少し多めに商品を作る必要がありますし、問屋も常に在庫を抱えてすぐに運べるようにしなければなりませんでした。
一方で、これからの商流では、もしかすると「売り切れたら再生産をしたら良いや」という心持ちで商品を作れるかもしれません。
メーカーは売り切る分を生産し、そしてインフルエンサーの助けを借りて売り切ってしまう。
これはある意味でマーケティングの対象が、大規模な集団から小規模な集団の塊へ変化しただけで、結局「みんなが使っているものを使うのがステイタス」な時代の延長線ではないかと、最近思うことがあります。
この流れが合っているのかどうか、そしてこの流れが進んだ先になにがあるのかはわかりませんが、いよいよ状況が激変しているというのは確かだと思っています。
ただ、パーソナライズされたPRの存在が前よりもより強力になった気がしており、自分がモノを買わされているのか、モノを買っているのか、ちゃんと考えたいなということは、個人的に思うところです。
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