登山が趣味ですと言うと、高尾山に登った思い出や、富士山に登るのが大変だった話を聞かせてくれることがあります。
その上で、登山ってたまにはいいんだけれど、そんなに何回もやるものかと言われることもあります。
登山を趣味としてとらえていない方にとって、登山の醍醐味が山頂だからなのでしょう。
大変な苦しい思いをして山頂に登って、良い景色を見て、小一時間したらまたくだる……そんな登山をすると疲ればかりが溜まってしまいます。
登山にハマってしまう人は、山頂で過ごすという「点」の楽しみには早々に飽きてしまい、すぐさま「線」の楽しみに移る傾向がある気がします。
そして、そこにたどり着くかどうかが、登山に引きずり込まれるかどうかの分水嶺だと思います。
山頂の景色を楽しんでいると、ふと気づけば歩いたことのない道がある。
標識を見るとどうやら隣の山に繋がっている道のよう。
つまりこの道を行けば山から山へ、下山をすることなく隣の山頂まで行くことができます。
しかし地図を見るとコースタイムが長く、とてもじゃないけど一日では無理かもしれない。
そうなると次はテントを担いで歩き始めます。
点と点を繋げる、線の遊びが始まります。
テント場で一夜を明かして、夜明けとともに片付ける。
朝日を浴びながら真っ赤になる山肌を眺めつつ、人の少ない稜線をのんびりと歩いて隣の山頂を目指す時間は、本当に素晴らしいものです。
そうして稜線を歩いていると、やけに重装備の人とすれ違ったり、体育で使うようなマットを担いでいる人が道を外れて森の中に入っていったり、登山道が通っていないはずの場所から焚火の煙が上がっていたり、あるいは痩せ尾根を泥だらけで這い上がってくる人がいたりします。
「線」から「面」へ移った人たちです。
整備された登山コースではなく、大岩を登るロッククライミング、未整備の”バリエーションルート”と呼ばれるコースを地図読みをしながら踏破するアルパインクライミング、あるいは谷を流れる沢を遡上する沢登りといった、山域を「面」として遊ぶ方々です。
私はまだ深みまでは入り込んでいませんが、沢登りを始めてから山頂への興味が薄れてきました。
山を登りたいというよりは、山で遊びたいという感覚が強くなっています。
滝を登るか迂回するか、釜を泳ぐか淵をヘツるか、そんな判断をしながら寝床にするのに具合の良い場所を探し、タープを張って、一晩過ごせば大満足です。
今年も山小屋が次々と営業終了となり、山は雪に閉ざされます。
今年は雪山に登る予定はありませんので、私のシーズンは終わりです。
来年は子どもが1歳になります。高尾山くらいは、背負って登れるでしょうか?
初心に戻って、点からスタートとなりそうです。
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